年譜

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1928 京都、嵐山に生まれる
1947 この秋、絵を描き始める
1948 新制作派協会展入選
1951 関西新制作派協会賞受賞
第15回新制作展で新作家賞受賞
1952 東京日本橋白木屋新設画廊で第一回個展
6月渡仏、以来パリに定住して制作
1953 サンジェルマン、「25」画廊でパリでの第一回個展(序文:ミッシェル・ラゴン)
1955 海藤日出男氏の尽力で、第一号の画家として志水楠男(後の南画廊)と契約を結ぶ。
サム・フランシスの紹介でミッシェル・タピエを知り、アンフォメル運動に参加
1956 パリ・スタドラー画廊と契約。ニューヨークのレオ・カステリ画廊と契約、
初期創立メンバーとしてグループ展に出品
1957 アンフォルメルの牙城であったパリ・スタドラー画廊での第一回個展(序文:タピエ、樋口修造)
この大成功により国際画家としての地位を得る。
一時帰国、初来日のタピエ、マチウ、サム・フランシスらと共にいわゆるアンフォルメル旋風を起こす。
東京、大阪でサム・フランシスと2人展を開催。
この年、読売ベストスリーに選ばれる
1958 東京・南画廊、トリノ・ピストイ画廊、パリ・スタドラー画廊で個展。
以後、個展・展覧会招待出品は200回以上に及び、多数にて割愛
1960 ヴェネチア・ビエンナーレに日本代表として出品
1962 毎日現代美術展で優秀賞受賞
1963 サンパウロ・ビエンナーレに日本代表として出品
1967 この頃ヤングファッションに興味をもち、東レ顧問となる。その他ファッションメーカー、デザイナー達
(クレージュ、三宅一生、高田賢三等)と交流を深める。
1969 「1952年-1969年今井俊満滞欧作展」を駐日フランス大使館後援により、日本橋三越本店7階で開く。
日本万国博覧会で富士グループ館美術監督及び生活産業館の美術プロデューサーとなる。
1975 求龍堂より画集出版(文:針生一郎)
フランスよりフランス文化功労勲章(アンクラジュマン・オ・プログレ:ヴェルメイユ)を受章
1980 ニューヨークのソーホーのアトリエで制作
1981 原美術館で「今井俊満展(生活から絵画へ)」を開催。(序文:原俊夫、ポンチュス・フルテン)
1982 フランス国立ジョルジュ・ポンピドゥ・センター近代美術館の招待で、2年間同付属アトリエに居住制作する
1983 パリのアトリエで「花鳥風月」「飛花落葉」のシリーズを描き始める
フランス文化相ジャック・ラングより芸術文化勲章(アール・エ・レットル:オフィシエ)を受章
1985 美術出版社より画集「花鳥風月」を出版。(文:ピエール・レスタニ、ポンチュス・フルテン、大岡信、芳賀徹、松浦寿夫、今井俊満、詩:大岡信、飯島耕一)
草月会館で「花鳥風月」と「飛花落葉」個展。(会場構成:磯崎新、生け花:崔在銀、音楽:細野晴臣)
1986 10月 全米ツアーの皮切りに、サンフランシスコ市立フォートメイスン文化センター(全長200m)の会場で今井俊満個展・インスタレーション「花鳥風月」を開催。全米3大イベントの一つとしてセンセーションを起こす
11月 ロスアンジェルス・日米文化センターで個展「花鳥風月」を開催
12月 フランス国立ジョルジュ・ポンピドゥ・センター近代美術館での「日本前衛芸術展」に旧作3点を出品。
同ポンピドゥ・センターで今井俊満とその友人のフランス詩人たちとの「風立ちぬ」展を開催
ヨーロッパツアーの皮切りにパリ・ボーブール画廊で新作個展
ポンピドゥ・センター地下講演会場でレクチャー「今井との出会い」(風立ちぬ)を、アラン・ジュフロア、ジャン・ピエール・ファイユ、ジャック・デュパン、ジャン・ぺロールと開催
1987 4月 大分県立芸術会館にて「今井俊満展—東方の光・40年の軌跡」を開催
11月 東京・日仏学院で「花鳥風月」展を開催
1988 1月 大阪キリンプラザで「花鳥風月」展を開催
5月 「シドニー・ビエンナーレ‘88」に日本代表として招待出品、シドニー・ニュー・サウスウェールズ・アート・ギャラリー(シドニー市立近代美術館)の彫刻展示用庭園でインスタレーション「花鳥風月」を展示、メルボルンでの「シドニー・ビエンナーレ‘88」に出品
8月 ソウル国立現代美術館でのオリンピック国際美術展に日本代表で出品
1989 3月 美術出版社より画集「花鳥風月」出版
4月 国立国際美術館で「今井俊満展—東方の光・1950—1989」開催。同展は6月に目黒区立美術館、9月にいわき市立美術館を巡回
9月 ベルギーのオステンド現代美術館で「今井俊満 花鳥風月」展を開催
11月 南フランスのシャトールー市立アベイユ・デ・コルデリエ美術館で「今井俊満 花鳥風月」展を開催