風の翼にのって

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風の翼にのって

ピエール・レスタニ
松浦寿夫訳
 今井俊満はもはや、ありふれた他の画家たち、多くの他の画家たちのような画家ではない。彼のなかに光が生れたのだ。光、とりあえずはそう言っておこう。絵画的な技量(メテイエ)の巧妙さに何ら負うことなく、ひとえにある内面的な秩序から放射される力、その秩序の有機的な反映であるような力だけにもとづくヴィジョンの特殊な輝きを、私は光という語で定義したいと思う。
預言者は隠喩の力を借りて表現する。本質的な真実は題材(プレテクスト)をともなうものである。今井の真実は、ぼんやりと霞む遠方の風景、岩にせきとめられた水の流れ、装飾的な牧草地、鳥たちの翼がちりばめられた銀河の星雲といった外見的な様相を呈する。これらはすべて風なのだ。しかし、威圧的であると同時に繊細な印象を通して、画家がわれわれに見ることを誘うこの風、イマージュの魔術を創造するこの風、それは生のある本質的な性格の消しがたい刻印であり、感情の膨大な富や美の趣味の鋭敏な発想なのだ。
 美の趣味について語るべきことは数多くあるだろう。とはいえ重要なことは、美を定義することよりも、むしろ、作品のなかに現前させられている感情の引金を自らの内部で感じ取ることである。
この明白で、変ることなく、決定的な感覚、それを私は1983年3月のある夜、パリの今井のアトリエで体験した。そのとき彼は新しい「今井文字(イマイグラム)」、金銀の地の上に型染めされた着物地のモティーフを私にはじめて見せてくれたのだ。モティーフの反復を統御する行為のオートマティスムが、水平線に沿って可逆的であり、遠近法において完璧に流動的であるイマージュの散種を誘発する。
 この自動書記はいかなる点においても、技術的革新など何ら示してはいない。それは、東洋でも西洋でもごく普通に用いられている型押しの伝統の形式的な領域、つまり、二つの実践と二つの文化とが遭遇する点に属している。しかも、この方法はその精神において、30年間にわたって今井のアンフォルメルの書法(カリグラフィ)を特徴づけてきた自発的な行為性にも酷似している。
 だが、行為の不確定性の組織的な援用が深い美の感覚に通じるとき、すべてが変化する。というのも、この美の感覚は驚嘆すべき明白さで、人間性の奇蹟、すなわち自然との再び見出された接触を表現しているからだ。
 自然との関係は日本人の自己同一性の根底的な要素であり、日本人の実在的な表明のすべてを決定し、動機づけ、色どる。このような言葉を書きつらねながら、私の筆先が滞るのも、こうした紋切型に頼ることに気が引けてならないからだ。けれども、ひとつの明白な真実、つまり、自然的な所与、風土、その季節ごとの変化、などと一体化する天与の才能について、他にどのように語れるというのだろうか。衣食住、言語的な隠喩がおのずから語っているとおりだ。
それにもかかわらず、自然について語ることが自分に許されていると私は感じる。完成の力強い基盤としての自然の感覚、私としてみれば、もしイヴ・クラインという範例とその絶えることのない思い出がなかったならば、それを失っていたことだろう。総体的な自然の効果を探求し、生き、感じとるために1978年8月に、ブラジルのアマゾン最深部にまで私を赴かせることにまでなった、この要求過大な範疇がなかったならば。

 今井の絵画は一挙に、この深い自然との一体感を私に与えてくれた。そして、私はイヴ・クラインのことを考えた。このモノクロームの画家なら、地の金の純粋さを変質させてしまうモティーフの配置に最初は苛立ったことだろう。だがやがて、風の画家、事物の自然にやどる空気の建築家である新たな今井のメッセージを、このモノクロームの画家が理解しただろうと考える。
 それゆえ、私は、この日本の画家が、今日その伝統、すなわち花鳥風月の精神を暗示するときに参照するものは、自然との有機的な絆なのだと思う。そして、今井が詩人、吉田兼好の1330年の随筆集『徒然草』から引いた一節、「月花はさらなり、風のみこそ人に心はつくめれ」〔21段〕を、私も引用する。
 風の捜査的な隠喩は、このようにして、伝統、あるいは花鳥風月の援用を正当化する。そして、伝統のこの感情的な援用において、あるいは感性の翼の上で、今井はたしかにひとり孤立しているわけではない。今日の科学技術的な日本は、21世紀のポスト・モダン状況を光速で先んじている。しかし、花鳥風月の精神なしの技術文化とは何か。古今集、俳句、生け花、作庭、盆栽、野点なしのコンピューター、生命発生装置とは何か。京都、奈良なしの筑波とは何か。
 1945年から40年がたち、西洋の観測者たちは、その相対的で皮相な分析手段にもかかわらず、外見的な日本の現在芸術界に文化的ナショナリズムの息吹、つまり「伝統精神」への強まりつつある趣味の主張の露出するさまを感じている。
 70年代の日本では、人間とその環境とのあいだの親密で単純な関係の探求に基礎をおく「もの派」の運動、いわば花鳥風月のミニマル=コンセプチュアル版の展開が見られた。この間、「日本画」、すなわち伝統的な様式による日本絵画は、あいかわらず健在で、四季の循環を無頓着に描き続けている。
 私の同僚たる日本の批評家たちにも、おそらく、新たな今井による風の絵画をもの派と日本画のあいだに、李禹煥のグアッシュによる点の連続的な構成と池田遙邨の描く稲刈り後の田園とのあいだに位置づけるという考えが浮かぶかもしれない。
 この比較にはたぶん何らかの真実もあるだろうが、また危険もあるだろう。この5月に1ヵ月にわたりジェノヴァで開催された日本芸術祭で、私は「アクアデミシアン(水専門家)」である東野芳明の写真に、総体的な自然主義の同じ味わいを感じた。今井は4月末に日本へ発つ前に、私にウイリアム・ポーター訳の『百人一首』を1冊残していった。私は、自分がミラノのドムス・アカデミーで教えている、建築及びデザインを学ぶ大学院生たちに、『百人一首』の歌のひとつに挿絵を描くようにと言った。取りあげたのは1041年に没した大納言公任の「滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほきこえけれ」という歌である。イタリア人の学生のひとりは、糸のねじれが落水の蛇行する水の流れを喚起する木綿の糸を金属板の上に置き、糸をアルコールに浸して、それに火をつけるという構想を示した。この魔術の瞬間は、われわれ全員に自然の詩的な秩序を再び呼び戻したかに感じられた。
 これが風の画家であり、花鳥風月の預言者である今井が私に与えてくれたものの偉大な教えである。美は何にもまして自然の問題であり、そこに至る最短の道は疑いの余地なくやはり感性の風の翼にあると。